前回の日記でも書きましたが、現在、ワタクシ、森山直太朗くんの全国コンサートツアーでちょいとお手伝いをしておりまして、国内のあちこちを旅しております!(この記事をアップした日には四国へたちます。)
先日まで、九州北部〜山陽のコースを堪能していたところですし、この後も四国、九州南部、山陰、北陸に行くことまで決まってます。
かなりの強行軍でつぎつぎと移動していくのですが、とは言え、ほとんど実際やることのない僕は、時間のほとんどを名産の飲み食いと観光に当ててます!こんなのんびりと優雅な時間、かつてニュージーランドを一人旅してたとき以来です!幸せ!
で、今回、いろいろ行った中で、特に僕を感動させてくれた街があります!それは“下関”です!
美味しいもので言えば、他にもいろいろステキな街はあるのですが、“下関”は僕の「歴史大好き」という一面にとってめちゃめちゃヒットした街なのでした!
美味の代名詞“ふく”の街として知られる“下関”ですが、実はこの街、日本史のいろんな場面に登場する、まさに歴史の重要拠点なのです!
源平の合戦が昔から好きな僕にとっては、この街のある関門海峡は源平最終決戦のシーン“壇ノ浦”です!源義経率いる源氏勢が平知盛率いる平家一門を打ち滅ぼす場所で、あまりにも有名な、7歳の幼帝・安徳天皇が入水する涙涙の名場面こそこの場所なのです!この歴史的大事件を境に、世は貴族社会から武家政権へと移り変わります。いわゆる鎌倉幕府の成立です。
時代は流れ、この下関は山口県、つまり長州です。攘夷の急先鋒だった長州は関門海峡を通過する外国船を砲撃します。その報復を受け、その分列強の強さを最初に思い知ることになるのです。これにより逆に討幕運動の旗頭となることができ、果ては明治新政府の要職をほぼ独占することに至るのです。まさに歴史の大きなターニングポイントに関わっている土地だと言ってまちがいないでしょう。
明治になり、極東の田舎者だった日本が、列強に追いつけ追い越せと、殖産興業、富国強兵政策で背伸びしていった結果、大方の予想を裏切って大国・清との戦争に勝利します。これにより日本は勢いづき、やがて帝国主義、ひいては軍国主義へと突き進んでいくのです。この日清戦争の終結条約が結ばれたのも下関でした。社会科で習う「下関条約」です。
こうやって主だったものを並べてみただけでも、この下関という土地が日本史のいろんな転換期に必ずといっていいほど顔を出す街なのだとわかるはずです!そしてそういったもろもろの事件に関わる歴史的建造物や記念碑が街の至る所に見受けられるってわけです!そりゃ歴史好きにはたまりません!
こんな機会でもないと訪れることがなかったであろう“下関”。これからも日本はいろいろな変化をしていかなければなりませんが、この街が今度はどんな名シーンを作ってくれるのか、今から楽しみです!
あ、全国ツアー楽しいって話です・・・・要するに・・・。

先日まで、九州北部〜山陽のコースを堪能していたところですし、この後も四国、九州南部、山陰、北陸に行くことまで決まってます。
かなりの強行軍でつぎつぎと移動していくのですが、とは言え、ほとんど実際やることのない僕は、時間のほとんどを名産の飲み食いと観光に当ててます!こんなのんびりと優雅な時間、かつてニュージーランドを一人旅してたとき以来です!幸せ!
で、今回、いろいろ行った中で、特に僕を感動させてくれた街があります!それは“下関”です!
美味しいもので言えば、他にもいろいろステキな街はあるのですが、“下関”は僕の「歴史大好き」という一面にとってめちゃめちゃヒットした街なのでした!
美味の代名詞“ふく”の街として知られる“下関”ですが、実はこの街、日本史のいろんな場面に登場する、まさに歴史の重要拠点なのです!
源平の合戦が昔から好きな僕にとっては、この街のある関門海峡は源平最終決戦のシーン“壇ノ浦”です!源義経率いる源氏勢が平知盛率いる平家一門を打ち滅ぼす場所で、あまりにも有名な、7歳の幼帝・安徳天皇が入水する涙涙の名場面こそこの場所なのです!この歴史的大事件を境に、世は貴族社会から武家政権へと移り変わります。いわゆる鎌倉幕府の成立です。
時代は流れ、この下関は山口県、つまり長州です。攘夷の急先鋒だった長州は関門海峡を通過する外国船を砲撃します。その報復を受け、その分列強の強さを最初に思い知ることになるのです。これにより逆に討幕運動の旗頭となることができ、果ては明治新政府の要職をほぼ独占することに至るのです。まさに歴史の大きなターニングポイントに関わっている土地だと言ってまちがいないでしょう。
明治になり、極東の田舎者だった日本が、列強に追いつけ追い越せと、殖産興業、富国強兵政策で背伸びしていった結果、大方の予想を裏切って大国・清との戦争に勝利します。これにより日本は勢いづき、やがて帝国主義、ひいては軍国主義へと突き進んでいくのです。この日清戦争の終結条約が結ばれたのも下関でした。社会科で習う「下関条約」です。
こうやって主だったものを並べてみただけでも、この下関という土地が日本史のいろんな転換期に必ずといっていいほど顔を出す街なのだとわかるはずです!そしてそういったもろもろの事件に関わる歴史的建造物や記念碑が街の至る所に見受けられるってわけです!そりゃ歴史好きにはたまりません!
こんな機会でもないと訪れることがなかったであろう“下関”。これからも日本はいろいろな変化をしていかなければなりませんが、この街が今度はどんな名シーンを作ってくれるのか、今から楽しみです!
あ、全国ツアー楽しいって話です・・・・要するに・・・。

平家最後の地・壇ノ浦。波の下にも都の候・・・と、7歳の安徳帝は何も知らずに海に身を投げるのです・・・都に帰れると信じて・・・。涙。
